返礼品について
山姥切国広刀絵図(鋒)
井本悠紀氏作 刀「山姥切国広」刀絵図の鋒部分をあしらっています。
裏面に「作品名」と「足利市立美術館」が彫られています。
【ご注意事項】
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【山姥切国広とは?】
国の重要文化財のひとつであり、刀工・国広の最高傑作とされる一口です。
天正18年(1590年)、国広が足利長尾氏・第六代当主の顕長のために鍛刀したもので、かつて顕長が北条氏直から拝領した「本作長義」の刀を写したものと考えられています。諸説ありますが、同年に脇指「布袋国広」を足利学校(栃木県足利市)で作刀していることから、作刀場所は同じく足利だったのではないかと考えられています。
【稀代の名刀「山姥切国広」誕生のきっかけ】
戦国の世に足利の地を治めた「足利長尾氏」は、美を愛し、数々の文化財を後世に遺した領主として知られています。
イエズス会宣教師フランシスコ・ザビエルにより、「日本国中最も大にして、もっとも有名な坂東の大学」と世界に紹介された「足利学校」には、当時全国から多くの人々が集まっていました。国広もそのひとりです。日向国(宮崎県)出身の国広と足利長尾氏第六代当主・長尾顕長が、この地で出会うという偶然の巡り合わせにより名刀が誕生しました。
【400年以上の時を経て、名刀が再び足利の地へ】
ー「山姥切国広」が現代で結んだ絆ー
諸説ありますが、小田原合戦の結果、北条氏に従属していた足利長尾氏がこの地を去り、「山姥切国広」は江戸幕府の重臣であった井伊家に伝わったとされています。
その後、関東大震災で焼失したとされていましたが、昭和初期に現存が確認されてからは個人蔵とされ、1997年の東京国立博物館で展示されたのを最後に公開されることはありませんでした。
2016年に足利市立美術館にて、同じ国広作の脇指「布袋国広」が展示されたのをきっかけに、2017年に同館で「今、超克のとき。いざ、足利。山姥切国広展」が開催。一説には名刀誕生の地ではないかとも伝わる足利では、実に427年ぶりの再会となりました。
わずか30日間の展示で約4万人が来場。大反響を呼び、足利の街が熱気と活気に包まれました。
【事業者】足利市立美術館ミュージアムショップ
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