返礼品について
日本屈指の国内銘柄牛の素牛の産地「石垣市」より旨味のつまった美味しい黒毛和牛をお届けいたします。
肥育方法にこだわり、心を込めて再肥育した黒毛和牛に「氷温熟成」技術を掛け合わせ美味しいお肉が完成しました。
パーティやアウトドア、お祝いや贈り物等様々なシーンで大活躍の美味しいロースステーキを合計400gお届けします。
是非、一度ご賞味ください。
●氷温熟成のおいしさの秘密
細胞は、氷温下、すなわち0℃以下のストレスにさらされると、 食品素材である生体は凍るまいとする自己防御機構が働き、不凍物質を蓄えます。
この不凍物質に含まれる遊離アミノ酸類や糖類はうま味や甘み成分でもあり、 一年中で最も寒い大寒の旬(寒ざらし)の味覚・風味が再現されるのです。
●八重山と牛の歴史について
沖縄は、1年を通して温暖な気候、豊かな風土、飼料となる牧草が豊富であり牛の飼育に適した環境がおおく整っています。
沖縄といえば、豚肉のイメージが色濃くありますが、琉球王朝時代、牛は大切な家畜、財産であり、15世紀頃には、先島地域で飼育され祝い事の席で食されており、貢物として定着していました。
また、この頃、牛馬に対する税制度や牛の屠殺制限が幾度となく行われていました。これは、牛が1年に1頭しか子供を産めない事もあり、農耕のための役用、課税対象である牛の頭数の維持の為であったと考えられています。それほど牛は貴重であったと伺えます。1879年(明治12年)琉球藩が廃止され、沖縄県が誕生しました。この頃、盛んに砂糖の製造が行われており、役用として牛の需要が高く、また、食肉として革製品の製造の為として重宝され飼育頭数も増えていきました。沖縄県内の牧場では先島地域(宮古・八重山)がほとんどで、放牧飼育されていました。
1945年終戦後、アメリカ合衆国の統治下の中、戦火で壊滅的な被害を受けた畜産業の復興が始まり、日本向けの輸出も始まりました。この当時は、アメリカ統治下にあった沖縄は、日本は外国となり、輸出との形になっています。販路が開拓されたことにより、畜産農家の意欲も高まり優良な黒毛和牛の改良を進めました。その後、家畜の登記・登録、人工授精も始まり、より良い種の交配が進められていきました。
戦前から和牛の産地は八重山とされており、1年中温暖な気候と飼料となる豊富な資源を活かし、日本国内でも屈指の国内銘柄牛の素牛(肥育開始前の子牛)の産地として知られ、八重山の畜産業のベースとなっておりました。しかし、沖縄が本土復帰した1972年前後では、日本国内での牛肉の需要が高まり、沖縄で肉用牛の生産拡大が勧められ、肥育に力を注ぎ一貫体制での安心安全、美味しい肉用牛の改良、生産が始まりました。
肥育方法にこだわり、心を込めて再肥育した黒毛和牛に「氷温熟成」技術を掛け合わせ美味しいお肉が完成しました。
パーティやアウトドア、お祝いや贈り物等様々なシーンで大活躍の美味しいロースステーキを合計400gお届けします。
是非、一度ご賞味ください。
●氷温熟成のおいしさの秘密
細胞は、氷温下、すなわち0℃以下のストレスにさらされると、 食品素材である生体は凍るまいとする自己防御機構が働き、不凍物質を蓄えます。
この不凍物質に含まれる遊離アミノ酸類や糖類はうま味や甘み成分でもあり、 一年中で最も寒い大寒の旬(寒ざらし)の味覚・風味が再現されるのです。
●八重山と牛の歴史について
沖縄は、1年を通して温暖な気候、豊かな風土、飼料となる牧草が豊富であり牛の飼育に適した環境がおおく整っています。
沖縄といえば、豚肉のイメージが色濃くありますが、琉球王朝時代、牛は大切な家畜、財産であり、15世紀頃には、先島地域で飼育され祝い事の席で食されており、貢物として定着していました。
また、この頃、牛馬に対する税制度や牛の屠殺制限が幾度となく行われていました。これは、牛が1年に1頭しか子供を産めない事もあり、農耕のための役用、課税対象である牛の頭数の維持の為であったと考えられています。それほど牛は貴重であったと伺えます。1879年(明治12年)琉球藩が廃止され、沖縄県が誕生しました。この頃、盛んに砂糖の製造が行われており、役用として牛の需要が高く、また、食肉として革製品の製造の為として重宝され飼育頭数も増えていきました。沖縄県内の牧場では先島地域(宮古・八重山)がほとんどで、放牧飼育されていました。
1945年終戦後、アメリカ合衆国の統治下の中、戦火で壊滅的な被害を受けた畜産業の復興が始まり、日本向けの輸出も始まりました。この当時は、アメリカ統治下にあった沖縄は、日本は外国となり、輸出との形になっています。販路が開拓されたことにより、畜産農家の意欲も高まり優良な黒毛和牛の改良を進めました。その後、家畜の登記・登録、人工授精も始まり、より良い種の交配が進められていきました。
戦前から和牛の産地は八重山とされており、1年中温暖な気候と飼料となる豊富な資源を活かし、日本国内でも屈指の国内銘柄牛の素牛(肥育開始前の子牛)の産地として知られ、八重山の畜産業のベースとなっておりました。しかし、沖縄が本土復帰した1972年前後では、日本国内での牛肉の需要が高まり、沖縄で肉用牛の生産拡大が勧められ、肥育に力を注ぎ一貫体制での安心安全、美味しい肉用牛の改良、生産が始まりました。