返礼品について
眼鏡やスマートフォンが拭けるクリーニングクロス(ポリエステル100%、24cm×19cm)セットです。立身出世の「登竜門」をイメージした3点セットです。
作品解説1.「光池游々」(2002年制作 第34回日展出品)大山は5月5日端午の節句生まれ。「鯉には縁がある」と、多く描いていた題材。「鯉の大山」らしい鯉の作品を昇華転写技術で鮮やかにプリントしました。
作品解説2.「春池」(1997年制作)同じく「鯉の大山」らしい鯉の作品を昇華転写技術で鮮やかにプリントしました。
作品解説3.「雲龍」(1997年制作)雲間から堂々と姿をあらわす龍が描かれています。大山が得意な龍の作品を昇華転写技術で鮮やかにプリントしました。
■生産者の声
大山忠作画伯は1922年(大正11)5月5日、現在の二本松市根崎生まれ。幼児期を安達太良山と阿武隈川に囲まれた自然環境の中で過ごした大山は、二本松第二尋常高等小学校卒業後に上京、東京美術学校(現.東京芸術大学)で日本画を学ぶ。第2次世界大戦の戦況悪化により、学徒出陣のため繰り上げ卒業となり戦地へ。終戦を迎え戦地から復員すると、東京都美術館で開催中だった第1回日展を見て感動し、制作意欲をかき立てられ、第2回日展に「O先生」を初出品し初入選。以後、日本画研究団体「一采社」に参加、山口蓬春に師事し、日展を主な舞台として、描きたい物を描くという姿勢で、人物から宗教、花鳥、風景画まで幅広い題材の作品を発表し続けた。日展理事長、さらには会長として芸術団体の舵取りを行い、わが国の芸術文化の振興・発展に尽力。2006年(平成18)には、写生を踏まえた平明で骨太な描写、さらにその画技と団体への貢献により、芸術文化の向上に寄与したことが認められ、文化勲章を受章。2009年(平成21)2月19日、87歳で逝去。2022年(令和4)5月、生誕100年を迎えました。
※寄附のキャンセルは受け付けておりません
作品解説1.「光池游々」(2002年制作 第34回日展出品)大山は5月5日端午の節句生まれ。「鯉には縁がある」と、多く描いていた題材。「鯉の大山」らしい鯉の作品を昇華転写技術で鮮やかにプリントしました。
作品解説2.「春池」(1997年制作)同じく「鯉の大山」らしい鯉の作品を昇華転写技術で鮮やかにプリントしました。
作品解説3.「雲龍」(1997年制作)雲間から堂々と姿をあらわす龍が描かれています。大山が得意な龍の作品を昇華転写技術で鮮やかにプリントしました。
■生産者の声
大山忠作画伯は1922年(大正11)5月5日、現在の二本松市根崎生まれ。幼児期を安達太良山と阿武隈川に囲まれた自然環境の中で過ごした大山は、二本松第二尋常高等小学校卒業後に上京、東京美術学校(現.東京芸術大学)で日本画を学ぶ。第2次世界大戦の戦況悪化により、学徒出陣のため繰り上げ卒業となり戦地へ。終戦を迎え戦地から復員すると、東京都美術館で開催中だった第1回日展を見て感動し、制作意欲をかき立てられ、第2回日展に「O先生」を初出品し初入選。以後、日本画研究団体「一采社」に参加、山口蓬春に師事し、日展を主な舞台として、描きたい物を描くという姿勢で、人物から宗教、花鳥、風景画まで幅広い題材の作品を発表し続けた。日展理事長、さらには会長として芸術団体の舵取りを行い、わが国の芸術文化の振興・発展に尽力。2006年(平成18)には、写生を踏まえた平明で骨太な描写、さらにその画技と団体への貢献により、芸術文化の向上に寄与したことが認められ、文化勲章を受章。2009年(平成21)2月19日、87歳で逝去。2022年(令和4)5月、生誕100年を迎えました。
※寄附のキャンセルは受け付けておりません